pappoのブログ

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食事をする部屋の絵

18坪の平屋、庭もあったから、建坪は大分小さかったと思う。
1Kといったところか、食卓兼こたつを片付けて布団を敷いて、川の字で寝る。
狭いことは嫌なことではなかった。毎日お母さんを中心に妹と僕がくっついて寝る。最高に幸せだった。
僕の同級生の家はみな同じようなものだった。が、席順で一つ前の友達の家だけは違った。
どこか大きな会社の偉い人の家のようで、コンクリートの家に広い庭、ちょっとした山が敷地内にあった。
遊ぶには格好だったので、よく遊びに行っていた。
あるとき帰るのが遅くなると、食事をして帰りなさいと友達のお母さんに言われて夕飯をご馳走になった。
生まれて初めてナイフとフォークで食事をした。使い方が分からない。
友達が食べているのを横目に見ながら、一歩遅れて同じような手つきで食事した。
左手でフォークを持ちその背にご飯をのせて食べる、なんてとても無理だった。
フォークを右手に持って全部食べた。

食事をする部屋の絵を描きなさい、と小学校の先生に言われた。
暫くして全員の絵が席順に張り出され保護者会が開かれた。
僕はひと間の部屋を書いた。食事をする部屋、兼寝室、兼遊び部屋で、その一間しかない。
もちろん裸電球。でもこの時代はどの家も当たり前だった。
僕の絵の前には席順で一つ前の友達の絵が張り出されていた。
はじめてナイフとフォークを持って食事を頂いたあの部屋が書かれていた。
部屋の電灯にはシャンデリアが書かれていた。

家に帰るとお袋が、怒って?、恥ずかしそうに?、悲しそうに?、笑いながら?、言った。
裸電球は書かないで。
小学校1,2年生の僕にはそんな気遣いは出来なかった。