pappoのブログ

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人を育て、自分を育てる

人は何故か、自分と向き合うことが苦手だ。おそらく自分を否定しているからだと思う。しかし、人を育てていると否応なしに自分と向き合わざるを得なくなる。そして、ありのままの自分を受け入れることによって、自分自身が成長していくことになる。

買い物するユーザは技術力を買う。買い物される人も技術が売りだ。ここでビジネスは成立してしまう。ところが、買い物する人もされる人も”人間力”が育っていないのですぐにトラブルになる。そしてまた、買い換える。何度買い換えても同じこと。”人間力”の側面がお互いに育っていないのだから。

ちなみに”人間力”は育っていないが技術力は高い、という人は困ったことにプライドも高い。しかし、この手の技術者は、実はあまり役に立たないのだ。役に立たなくてプライドが高い、将来が心配だ。

あらためて言いたい、ユーザも技術者も人間なのだ。この当たり前のことをわざわざ大きな声を上げて言わないといけない時代だと思う。
そもそも仕事は人のため、社会のために行うものだ。人の成長無くして良い社会は生まれない。このシンプルな原点に立ち返ることが、人と社会の未来を創っていく。

戦争の裏

2022年3月20日のロイターの記事によると、
ロシア正教会のキリル総主教が、ロシアによるウクライナ侵攻に高らかな祝福を与えた」、とされている。

驚いた、なぜなら東方正教会は、あまり馴染みがないがキリスト教の一つである。
キリスト教が残忍なこの戦争を祝福するなんて。

 

少し調べてみた。

 

西方教会が馴染みのあるカトリックプロテスタントなどで、東方正教会ギリシャ正教会ロシア正教会ウクライナ正教会などがある。


2018年10月、ロシア正教会からウクライナ正教会が独立した。
ウクライナ正教会は、ソ連崩壊後に設立されて以来、これまで正式な承認を得られずにいたが、今回の主教会議において、ウクライナ正教会キエフ総主教庁の正統性が正式に認められた。モスクワ総主教庁が抱える1億3600万人の信徒の4分の1はウクライナ人が占め、また1万8000カ所ある教会区の3分の1はウクライナにある。ウクライナ正教会の分離は、1000年におよぶ正教会の歴史上「最悪の危機」になると見られている。
今回の戦争の裏にはこんな宗教対立があったのだ。

 

プーチンは政治的にウクライナを元の管轄下に置きたい、ロシア正教会のキリル総主教はウクライナ正教会を元の管轄下に置きたい。この2人はお互いに認め合っているのだろう。


ここまで知ると、「ロシア正教会のキリル総主教が、ロシアによるウクライナ侵攻に高らかな祝福を与えた」理由は理解できたが、これが本当に宗教家の発言か、いや宗教組織の政治家の発言だろう。

 

食事をする部屋の絵

18坪の平屋、庭もあったから、建坪は大分小さかったと思う。
1Kといったところか、食卓兼こたつを片付けて布団を敷いて、川の字で寝る。
狭いことは嫌なことではなかった。毎日お母さんを中心に妹と僕がくっついて寝る。最高に幸せだった。
僕の同級生の家はみな同じようなものだった。が、席順で一つ前の友達の家だけは違った。
どこか大きな会社の偉い人の家のようで、コンクリートの家に広い庭、ちょっとした山が敷地内にあった。
遊ぶには格好だったので、よく遊びに行っていた。
あるとき帰るのが遅くなると、食事をして帰りなさいと友達のお母さんに言われて夕飯をご馳走になった。
生まれて初めてナイフとフォークで食事をした。使い方が分からない。
友達が食べているのを横目に見ながら、一歩遅れて同じような手つきで食事した。
左手でフォークを持ちその背にご飯をのせて食べる、なんてとても無理だった。
フォークを右手に持って全部食べた。

食事をする部屋の絵を描きなさい、と小学校の先生に言われた。
暫くして全員の絵が席順に張り出され保護者会が開かれた。
僕はひと間の部屋を書いた。食事をする部屋、兼寝室、兼遊び部屋で、その一間しかない。
もちろん裸電球。でもこの時代はどの家も当たり前だった。
僕の絵の前には席順で一つ前の友達の絵が張り出されていた。
はじめてナイフとフォークを持って食事を頂いたあの部屋が書かれていた。
部屋の電灯にはシャンデリアが書かれていた。

家に帰るとお袋が、怒って?、恥ずかしそうに?、悲しそうに?、笑いながら?、言った。
裸電球は書かないで。
小学校1,2年生の僕にはそんな気遣いは出来なかった。

 

はじめて席を譲って貰った

仕事帰りの電車の中つり革に掴まって立っていると、突然前に座っている20代前半の青年に声をかけられた。
「この席をどうぞ」50代のはじめの頃のことだ。驚いた。まだまだそんな年ではないと思いつつも、彼の善意に甘えることにした。
さほど疲れてもいなかったのだがそう見えたのか、いや、かなり疲れていたのかもしれない。
軽く頭を下げ、ありがとうございますとお礼を言うと、嬉しそうな表情で、目がひときわ輝いて見えた。
爽やかな青年に心から感謝。

 

18坪の土地に建った平屋

小学生低学年の頃、18坪の土地に建った平屋に住んでいた。

今となっては家と言える代物ではない。

朝日が壁の節穴から入ってくる。ほこりが舞っているのがよく見える。

つまり、板1枚なのだ。犬小屋並み、いや、今の犬は人間の家に住んでいる。

お勝手の流しはもちろんステンレスではない。石の流しだ。

ある冬に雪が降った。朝起きてみると頭に雪が積もっていた。

屋根と立て板(壁)の隙間から雪が吹き込んでいた。

寒かった。ジャンバーを着てこたつに足を入れる。

まだ身体が小さかったから、全身こたつに入り暖を取りながら妹と遊んだ。

夜布団で寝るときには作法がある。

布団を肩までかぶって自分の息で布団の中を暖める。

反対側を向いて同様に布団の中を暖める。漸く布団が温まって寝ることが出来る。

子供は工夫の天才だ。

オリンピック

僕の子供の頃1(昭和32年、1957年生まれ、現在64才)

新聞のコラムに64歳の方が「私の子供の頃」について書いていた。

懐かしく思ったので、「僕の子供の頃」の思い出を書いてみる。

映画でいうと「ALWAYS 三丁目の夕日」の時代である。

小学生(公立)の時、授業が突然中止になり、先生が言った。

「オリンピックに出場している日本人を応援する」

教室にあるテレビでオリンピック(昭和39年、1964年)を見た。

今では考えられないと思うが、のんびりした時代だったのだろう。

詰め込み教育というほどのものはなかった。

 

オリンピックの思い出は三宅選手が重量挙げで金メダルを取ったこと、

とても興奮した。

女子バレーボールで日本がソ連を破り金メダル、いわゆる東洋の魔女だ。

兎に角ボールを拾いまくる、そのしぶとさには驚いた。

遠藤が団体・個人と合わせて3個の金メダルを獲得。体操日本の始まりだ。

他にも多くの日本人がメダルを取っていた。

戦後さほど時間が経っていないのに、日本人は凄かった。

誇らしかった。気持ちが高ぶった。

 

 

久しぶりに雪かき

今、朝の5時、今日は3時に起きてしまった。早すぎる。
寝たのは昨夜22時頃、ちょっと寒気がしたので葛根湯を飲んで寝た。
この葛根湯を飲んだことが早すぎる起床の原因だ。
葛根湯を飲むと身体が興奮するようで、まず、2時間後の12時にトイレに起きた。
そして、その3時間後の3時に起床となった。
もう少しは寝たいのだが、昼寝で何とか、やり過ごそう。

洗濯と朝食が終わり一段落。
最近は外は寒くて洗濯物の乾きが悪いので、家干しにしている。
Yahoo天気を見ると6時から7時の間雪が降るようだ。
その後は雨、今回は積もることはなさそうだ。

先日雪が降った時は久しぶりに雪かきをした。
お向かいの旦那さんが頑張ってくれて、その息子さんは雪遊びで夢中だ。
子供は本当に素晴らしい。どんな状況でも楽しんでしまう。
家の女房も頑張ってくれた。遅れて参加すると8割方片付いていた。
20分ぐらい雪かきをすると路地の雪は概ね片付いた。
たった20分位の雪かきで久しぶりの腰痛がはじまった。
20台からの持病のようなものだったが、そう言えば最近はなぜか腰痛が出なくなっている。
本当に助かっている。